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最終的に予算よりもかなりオーバーしたが、むこうの言い値よりはだいぶ低い金額で折りあい、一週間後に手付け金を払って契約にいたった。お金のやりくりについてはもうふれたくない気持ちだ。
胃が実際にきりきりと痛むほどの毎日だった。だが、資金調達なくしては家は語れないだろう。
家を探し出すのと同時に、マンションを売りに出した。九千万円で買ったマンションの査定は、なんと五千七百万円。
最初からこの価格をつけてしまうと、買いたたかれてもっと下がりかねないが、とにかく売れない時期だ。結局五千八百万円で出した。
最終的に五千六百万円で売れたので、前のマンションで儲けた分がみごとに相殺された結果となった。その売却代金と夫婦二人の積み立て貯金、株の売却などで、資金の六割をまかなった。
残りはローンを組むことになる。名義は夫六対私四にするつもりでいたため、私もローンを組まざるをえない。
虫のいい話だが、これだけ「家がほしい」と騒ぎまくっておきながら、私自身は借金を背負いたくなかった。ローンを組んだら、仕事の上で精神的にかなり追い込まれるだろう。
気が乗らない仕事も引き受けなくてはならないし、いまよりもっと働かなくてはならない。どうにかして逃れられないか、名義をもう少し夫に譲ってしまおうか、とずいぶん悩んだ。
だが、ここはやはりいい出しっぺの私も精一杯背負うべきである。借金を背負えば、勤労意欲がもっとわいてくるかもしれない。
もしかしたら仕事で弾みをつけるチャンスになるかも……そう自分を励まして、ローン申請に踏み切った。勤続二十年以上の夫はほとんどなんの問題もなくローン審査は通った。
ところが私はそうはいかない。私の職業は世間では非常に信頼度が低い「文筆業」である。
「昨年度の収入が基準になります」と担当の銀行員がいう。ああ、去年もっと仕事して稼いでおけばよかった、と思ってもあとの祭り。
つぎに「毎月決まった金額が入ってきているかどうかも審査対象です。連載はどれくらいありますか?」と聞かれた。
私の場合、収入の六割程度が不定期の単発仕事だ。毎月決まって入ってくる収入は全体の四割しかない。
そこで四百万円弱が収入と見なされ、限度額いっぱいの一千六百万円を借金することにした。毎月八万円ずつを返していくことになる。
審査に通って私のローンがおりるまでに、申し込みから一ヵ月以上かかった。「銀行はローン申請の際に不愉快な態度をとる」と自由業の人たちからよく聞いていた。
だが、私はそれほどいやな思いはしなかった。一つにはくやしいが、これはやはり夫という保証があったからだと認めざるをえない。
私の社会的信用度は、所詮は夫、ひいては夫の勤務する会社に支えられているのである。もう一つ、これは銀行の人からいわれたのだが、私が勤めはじめてから二十年にわたって、同じ銀行の同じ支店に口座を置きつづけ、収入がとだえたことがなかったこともプラスになった。
そしてまた既婚女性という不利な要因でも、二十年間働きつづけたことが証明されたのは「とても大きな利点になる」といわれた。と、文章にするとスムーズだったと思われるだろうが、実は家探し以上に資金調達はたいへんだった。
この時期、私は仕事のデスクの前に座ると、家の図面を見ては電卓をはじいていた。よく「子どものお年玉の貯金まではたいた」という人がいて、何もそこまでしなくてもねえ、とあきれていたのだが、いざとなると私もしっかり子どもの預金通帳からそっと抜いてしまった。
数年後に穴埋めはしたのだが、いまでも申し訳なく思っている。とにかくそれくらい切羽詰まっていた。
毎朝毎夕担当の銀行員と電話で話し、税理士に相談し、住宅取得のための法律関係や税金関係の資料を読み、いくらのぞいても少しも増えない預金通帳を眺め、ため息をついた。家探しには誰が何といおうと不携不屈の精神で臨んだ私だが、資金調達の闘いにおいては、途中で何度もこけそうになった。
ときどき「こんなに借りてしまって、もしも何かあったらどうしよう」と夜中に考えだすと眠れなくなることさえあった。やることが大胆なわりに、私は気が小さいのだ。
それでもなんとかめどがついて(というか、見切り発車して)、家獲得までにあと一歩となった。本当の理想の家を求めて手付けをうったあとではあったが、もう一つ、どうしてもやっておかねばならないことがあった。
家が構造上問題ないかどうか専門家に確認してもらうことである。地震が来ても安全な家を買おうというのに、万が一欠陥住宅だったら目も当てられない。
そこで信頼のおける建築の専門家に実際に見てくれるよう依頼した。あの地震でもビクともしなかった実家を設計した建築家と工務店の人にわざわざ大阪から来てもらい、半日かけてこまかく見てもらった。
家に入る前に建築家が聞いた。「もしも構造上重大な欠陥があったら、どうする」ドキッとしてしばらく考えた。
「欠陥がもしも修復可能なものならば、契約を続行します。でも修復不可能だったり、ものすごく費用がかかるようならば、涙をのんであきらめます」優等生の答えだったらしく、建築家は「その覚悟ならいいね」と領いて中に入った。
壁をたたいたり、床下をのぞいたり、天井をめくったりと、数人がかりで調べた結果は、ほっとしたことに「いい家だね」だった。「手入れをきちんとしたら、あと五十年かそれ以上十分に住めるよ。
暮らし方にいろんな可能性がある家だから、だいじにしなさい」。家探しの苦労が報われたと思った瞬間である。
だが周囲は心配した。なんといっても、このご時世にとんでもない贅沢な買い物をするわけである。
宝クジがあたったわけではない。親の残した土地を受け継いだわけでもない。
四十代のサラリーマン家庭が、いきなり億を超える買い物をする。そのリスクの大きさがちゃんとわかっているのか、というわけだ。
家を見にきた父親の第一声は「ほ−、ほんまに身分不相応やなあ。これを身分相応にするのがあんたたちの今後の課題かもしらん」。
母はローンを心配した。「家のためにあくせく働かなくてはならないのよ。
そんなに高額のローンを抱えて生活していけるの?これから子どもにもお金がかかるんだし」。だがやきもきする母を前にすると、ここは豪語せねばならない。
一人になるとくよくよ悩んでいたくせに、私は胸を張ってえらそうなことをいってのけた。「大丈夫。
この家のためだと思ったら、働くエネルギーがわいてくる。身分相応の家にするために、大事に住んで、住みこなして、私たちの家らしくしてみせるから」そしてその家をはじめて見てから半年後、やっと私たちは念願の都内の一戸建てに引っ越した。
ところがそれから二年ほどたっても、私はこの“身分不相応”な家をまだ持て余していた。なんだか家の中にいてもお客様のようで、住みこなしていないような気がしてならない。
欠点もふくめてとても気に入っているのだが、家との愛情交換が十分にできていないといおうか。もう引っ越しをするつもりはないし、よほどのことがないかぎり、たぶんここに一生住むだろう。
周辺環境については申し分なく満足している。
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